四十九日

父が亡くなって早7週間が過ぎた。
この期間「ああ、父はもういないんだ」と実感するときもあれば、
七日毎に訪れる実家の玄関を開けるとき、
まるで当たり前のように父がいるような気がすることも度々だった。
今日は納骨もあるのでお寺へ行き、ごく内輪で四十九日の法要をした。
『仏になるというのは全ての煩悩から開放されることで、
例えば「ご冥福(冥土での幸せ)をお祈りします」と言うが、
幸せというのは生きている人間の欲望に過ぎない。
死んだ者が天国で幸せになるとか地獄に堕ちるというのは、
いま生きている人間の考えることで、亡くなった方、
つまり仏様に対して失礼である。
浄土へ赴くとはそれらを越え、生きることを私達に教えてくれているのである。
生きている人間には煩悩があるので、心安らかであればそれを幸せと呼ぶし、
いさかいや恨み悲しみを持つことがあればそれが地獄なのだ』
父の幼なじみであったという導師様がこのような説法をしてくれた。
葬儀の時も「亡くなった人は自らの死で、生きること、生きるとは何かを
私達に教えてくれる」というような話を伺った。
深い話だと思った。