思い出したこと

今朝の朝日新聞の『声』欄。
「勤務の実績は雇用形態と別」と「学校に戻れる環境整備こそ」の
2つの投稿を読んだ。
一方は、職歴が豊富で有能なかつての同僚がある会社の面接時に、
「これまでの仕事はアルバイトや契約社員だね。これは職歴とは認められない」
と言われたことについて、
『アルバイトか契約社員と言うのは、単に雇い主の雇用形態の問題で、
彼の仕事の実績とは別だ。(中略)本人が仕事を通じて何を得てきたか、
何ができるかを見てほしい。形式や肩書きで人を判断するのは、
「人を見る目がない」と自ら公言しているのと同じだ』。
私は「職歴」を「学歴」、「仕事」を「学校」または「勉強」に、
「アルバイトや契約社員」を「自宅学習やフリースクール」に、
「雇用形態」を「通学形態」または「管理形態」に置き換えて考えた。
もう一方は、不登校の子供がメールやファクスを使って自宅学習をすれば
出席扱いにできるという文部科学省の方針について、
『でも、この方法は、不登校の子に「学校に行かなくても大丈夫」と言って
いるように受け取られないでしょうか。彼らの親の「学校に行かせたい」という
思いも萎えてしまわないか心配です。(中略)学校という社会を
経験しなかった人が、社会に出て働いていくのは簡単ではありません』。
親が辛いのも確かだが、正直言って大切なのは親の思いよりも、
そこで生きていかなければならない子供の方だ。
子供の問題なのに子供達はなぜ声を上げないのか。
大人が「学校に行かないと社会に出たら苦労するよ」と、
ご無理ごもっともの正論を述べているうちは子供達は何も言えないだろうな。


娘はもともと保育園、幼稚園、小学校のいずれも「行きたくない」時期があった。
さらに小学校5年生の夏、転校先になじめなくて
夏休みまでの1ヶ月間を嘔吐しながら登校した姿を思い出した。
この1ヶ月間の経験は娘を強くしただろうか?
素直に自分を表現することを諦め、
自分に仮面をつけることを覚えただけではなかったろうか?
先日、全日制高校へ通うことを条件に
娘が希望する専門学校への入学を許すことにしたが、
果たして娘は高校に通えるのだろうか…
それが娘にとってより良い選択なのだろうか…