必要にして充分

高校で必須科目の替わりに受験勉強をしていた結果、単位不足になった問題。
その規模はついに数百校、数万人の生徒に及んでいることが分かってきた。
卒業に必要な単位を取るため70時間から350時間(!)かかる生徒もいるという。
10月26日の日記で私は「学校が生徒を利用して不正行為とは」と書いたが、
学校だけに責任の全てを負わせられない状況も見えてきた。
もし私が受験生なら、必要のないことやりたくないことをやらずに、
必要なことやるべきことだけに時間を費やせれば、
こんな合理的なことはないと思うだろう。
当時私は国立の美術科を目指していた。
学科試験は国、英、社と、数・理から1科目選択で4つ。
実技試験はデッサン、水彩、平面構成、立体構成、美術史で5つ。
受験科目は全部で9つもあったからだ。
実際に高校時代は定期試験の前や受験が近づくと美術の時間は自習が多かった。
では受験に関係のない授業は本当に必要ないのか、と考える。
建前では教養や人間形成、学力全般の向上において必要なのだ、ということになる。
必要にしても無駄な部分があるのではないか。
「あれもこれも」ではいくら時間があっても足りない。
「必要にして充分」な内容にスリム化できないものだろうか?
学力の低下という問題にしても、おおもとの原因は学ぶ内容が多すぎて
消化しきれない(理解できない)まま学年だけが上がっていき、
その結果高度な授業はただ難解なばかりの結果ではないかと思う。
いずれにしても、学校が不正なことをしている事実に気付かなかったことや、
不公平なことをした自分達が悪いと思える生徒はどれくらいいるだろうか。
多くの生徒は昨年までのは見逃されてたのに、なんでよりにも自分の時に・・・と
不満と不幸を感じているのではないだろうか。
善悪の判断ができ、良心や正義感といった感受性を持っていてしかるべき高校生。
そろそろさまざまな世界への視野も開けつつある年齢と思うが、
学校や世間一般はもちろん、当の自分自身にさえ厳しい視点を持てない様子も気になる。