好きと嫌いと無関心

1週間前の山下達郎さんのラジオ番組。
「山下さんの嫌いな音楽は何ですか?」という
リスナーからの葉書を読んだ彼は、
「嫌いなものについてあれこれ述べてる暇があったら
好きなものについて語りたい」と答えた。
おぉ〜、目からうろこ、かっこいい。
なんというポジティブな考えだろう…と、私は思った。
しかしリスナーは山下さんが好きでその番組を聞いており、
好きな人の好みを知りたいという気持ちから投稿したのだろう。
もし山下さんの嫌いな音楽が自分と同じならより親しみを感じただろうし、
逆だとしたら、別の見方、感じ方で学ぶことがあったかもしれない。
嫌いなものについての話題は確かに建設的とは言いがたいが、
いつもいつもバッサリ切って捨ててしまうとしたら、
それはもはや「嫌い」ではなく「関心がない」ということかもしれない。
以前、友人が「好きと嫌いは反対語ではない」と言ったが、
どちらも関心があるから生まれる感情という意味で、
表裏一体のものだという気がする。
私もどちらかというと嫌いなものについては
自然と意識の外に追いやってしまって、
なぜ嫌いなんだろうというようなことは深く考えない。
でも中には選挙カーのように一方的に生活に関わってきたり、
身の回りにしばしば現れて頻繁にわずらわされたりするなど、
嫌いなものに悩まされた経験もある。
また自分が嫌いなものを友達が好きだったりすると、
どこがいいんだろ?と見直すこともある。
それでもやっぱり嫌いな場合もあるし、だんだん好きになることも。
もちろん、自分は自分、人は人なんだから、
別にどっちでもいいじゃない?と言ってしまえばそれまでよ。
どっちでもいいじゃない…は、究極の無関心。
そこに共感は生まれようもない。
結構使ってたな、私。
ちょと反省。
これからは好きな人の前では使わないようにしよう。
(なるべく)…(* ̄∇ ̄*)~