友達ってなんだろう

今日の北海道新聞『卓上四季』より。
「十六−十七世紀の英国の哲学家フランシス・ベーコンは随想集にこう記した。本心を打ち明ける友人をもたない人々は、自分自身の心を食べる食人種である、と(中略)▼問題は深い人間関係が失われた結果、高校生の心の中で、出口のない悩みごとが増えているようにみえることだ」
娘が不登校に陥ったとき、友達との付き合い方で別の側面を知らされた。
それはクラスの中の嫌な空気を感じているとき、
あるいは長い期間嫌がらせを受けていたとき、
「親しい友達に話してみたことはあるの?」と聞くと、
「そういう話はしないから…」と娘が呟いたときだ。
親がうるさいとか様々な家の事情、好きな男子や将来の夢などを互いに話せる、
かなり親しい友達が数人いたので私は安心していたのだが、
「そういう話」はタブーだったのだろうか。
それとも以前「そういう話」をしてみた結果、
より悪い方向に行ってしまった経験でもあるのだろうか。
「友達といるときそんなこと話したら気分が台無しじゃん」と言う。
一方で「話しても仕方ないから」と言う。
話したくても話せない事情があったのかなぁ…
いろんな繰り返しの中で、もしも諦めを覚えていったのなら早過ぎるよ。
新しい世界で、話したいときに話せる友達が見つけられればいいな。