片翼ではなく

昨日は小樽から帰った後、もうひとつ行くところがあった。
娘の通うフリースクールで懇談会と懇親会があった。
お知らせのプリントを見た当初は、多分参加できないだろう…と思った。
不慣れな場所に一人で行くことが、最近また辛くなってきている。
行ったほうがいいし、親として行くべきだと思う分、辛さが増す。
こんなとき、もしも夫が一緒に行ってくれたらと思う。
カレンダーを見上げ、その日が夫の休日だと思いながら日が過ぎた。
数日前、思い切って夫に「一緒に行かない?」と聞いた。
夫はたちまち拒絶的な表情になり、「俺は行きたくない」ときっぱり言った。
夫は娘がフリースクールに通うのは反対なのだと言う。
ムラムラと怒りに似た感情が湧く。
いかん、いかん…
「あなたは自分が行かせたくないところにエムルをやってるわけ?
それじゃ何故、断固反対しなかったの?
俺は反対だと、娘ととことん話し合わなかったよね?
不本意ながらも一度許したことなら、
そこが本当にエムルのためにいいところなのかどうか、
どうして自分の目で確かめようとしないの?
親も友達も中学校も支えてあげられなかったエムルを、
替わりに支えてくれてる所なんだよ…
学校嫌いのエムルが毎日休まずに通ってるのは何故だと思う?
もう10年以上も前から子供達を受け入れて、
今年は文部科学省の研究事業(「不登校対応に関する実践研究事業」)
の委託を受けた立派なところなんだよ」。
…まぁ、そんなことがあって、夫は承諾してくれた。


先生方が放課後に作られたお料理をいただきながら、3時間以上も話しが弾む。
どのご家族、保護者のお話を伺っても同じではない、
実にひとり一人、ドラマを感じる出会いとなった。
親に共通しているのは常識に捕われて、迷いがあること。
「普通に(中学に)通えるように」
「普通の子と同じようになって欲しい」
「普通と違って…」。
会話の中で頻繁に出てくる「普通」という言葉に、代表者の方が静かに語りかけた。
「普通の感覚を持っているからこそ普通じゃない環境に気づいた子供達が、
悩み苦しみながらここにたどり着いたという風に思うんですよ」。
私自身学校になじめなかったので、娘に共感しているつもりでも、
まだまだ一般的な考え方の枠に捕われているな…と、目を開かれる思いの一言だった。
スクール側は夫の理解を得ていないことを感じていて、
夫にも「どう思われますか」と声をかけてくださった。
「気持ちでは共感できるが、頭ではまだ…」という。
−自分達も勉強が嫌いだったり学校に行きたくないと思うことがあった。
−それでも乗り越えてきた。
−そうすることによって、権利には義務が、自由には責任が、
 それぞれ伴うことを学んで来たのだ。
−自分には、娘が義務を守り責任を果たす努力を放棄して、
 都合のいい楽な生活を求めているように見える。
−甘えてるだけじゃないのか、怠けてるだけじゃないのか。
−これで厳しい社会で生きていけるのか。
夫の迷いは晴れないだろうと思う。


それでも片翼ではなく、
できれば両翼で向かい風さえ見方にする生き方をしたいのです。