二十歳過ぎれば

中学の担任の先生が訪問。
国語の先生もいらっしゃる予定だったが、急な用事で来れなかった。
週明けから修学旅行があって大変だろうにと感謝した。
前回、新しい(臨時の)担任として校長先生といらしたとき
エムルは不在だったので、あらためて顔が見たかったのと、
漢検に意欲を持っていることへの激励を兼ねて来てくれたのだろう。
「二十歳過ぎればただの人…と、私はよく言うの。
どんな道を歩んだってみんな大人になる。
今は先生と生徒でも、Mちゃんが大人になったら、私とMちゃんは対等な関係」
という風なお話しをしてくださった。
精神的に大人になる時期は人それぞれだろうが、
一般的に社会人と呼ばれる年齢になれば、
子供の頃の悩みは自然に氷解してゆくものだろうと私は思う。
子供の悩みは、家にしろ学校にしろ、逃げ場がないから起こることも多い。
大人になれば服装や髪型などの制約がなくなり、行動範囲も広がる。
もちろんモラルという形で新たな制約も生まれるが、
職業にふさわしい服装など必要なことについては納得して守るようになる。
そのことに誇りも生まれるだろうと思う。
むしろ早く大人になりたくて今にも弾けそうな心を持て余したり、
悩んでいるその感受性、期待感こそ、私はいとおしいと思う。
私たちの時代は三無主義、四無主義と言われた。
現在はさらに進んで、子供が大人になることに希望を持てないことが、
学校崩壊や幼稚な破壊行為などに影響しているのではとも思うし、
成人式での無謀な振る舞いや親の家に住んでいながら掃除洗濯親任せのような、
いつまでも幼児感覚から抜け出せない大人(大人になりたくない大人)を
生み出しているのではとも感じる。
理想だけでは生きられないし、
大人になってから理想と現実のギャップに苦しむことがあったとしても、
14歳からの寄り道、回り道がきっといつか娘の助けになることだろう。