失われた半年

校長のスケジュールを確認せずに訪問日を決めたとのことで、
なんと担任は校長ではなく教頭と共に訪れた。
校長は出張で不在だそうだ┐(~ー~;)~┌
口頭での回答なので、今後の対応として私は出来る限りメモを取った。
ま、質問の3事項に対しては予測の結果。
要望の3事項にも「校長の判断による」ので、
出来る限り進言するとの回答に留まった。
そして………
『娘は余儀なく中学校に通えなくなったのであり、本人の怠惰に拠るものでない事。それはフリースクールに休まず通い、新たな人間関係の中で前向きに生活し、進路についても高校卒業後も含めて見つめ始めているという点をご理解いただきたいと思います』
という手紙の文面を指し、
「この、娘は余儀なく中学校に通えなくなったのであり…という点について、
何も知らされていないのですが…」と言う。
私と夫は戸惑い、とりあえず不登校の原因となったことを伝えた。
初めて真相を知った担任と教頭先生は「それは申し訳なかった」と言ってくれたが…
こういうことってあり得るのだろうか?


今年3月、当時の担任の勧めでスクールカウンセリングを受け、
娘は重い口を開いて話した。
そのカウンセラーから話しを聞いた担任が後日我が家を訪問し、
その場で私の口からも説明した。
4月の新学期、担任が体の不調で療養することとなり、校長が副担任を伴って訪れた。
この時点で、これまでの全ての経緯は
担任から学校長及び副担任に伝えられていると思っていた。
職員会議の話題にも上っているだろうし、
5月に後任となったN先生にも当然申し送りされているものと考えていた。
当初、校長先生やN先生から「娘さんが不登校になった原因について
『その後』何か話しはありましたか?」という質問には、
「(前担任の)S先生にお伝えした事以外はありません」、
「カウンセリングを受けた場で得た話ししか今のところなくて、
それ以上は(娘は)答えたくないようです」と伝えてきた。
なので今回、娘が不登校になった原因について
N先生に申し送りがなかったことに加え、教頭先生も知らなかったことは
驚くばかりとしか言いようがない。
『その後』の受け取り方が学校側とこちらで食い違っていたにせよ、
校長先生は何も知らないままで過ごし、
職員会議などで話題になることもなかったということか?
誰も何も分からないまま、分からないことに疑問も想像力も持たれないまま、
娘は半ば放置されてこの半年が過ぎたということになる。