『持たない暮らし』

下重暁子著。
シンプルに暮したいと思ってきた。
子供の頃は貧しかったせいで、何もかも貴重に思えて取って置いた。
雑誌の付録、きれいな包装紙、紙袋、お菓子の箱、ビンのキャップ、etc.
20代になっても、使わない粗品、趣味に合わないいただきもの、
大量の文庫本はもちろん、古い洋服や雑誌、端切れや残り毛糸の果てまで。
整理整頓とは名ばかりで結局モノを捨てられず、
ただしまい込むための収納家具が増えて行った。
結婚してモノは2倍になり(相棒は私以上にモノを捨てられない人だった)、
子供が生まれるとものすごいスピードで生活空間が埋まって行った。
戸棚を開けると上から下までぎっしり、本棚を開けると上から下までぎっしり、
押入れを開けると上から下までぎっしり。
いざ使おうと思っても何がどこにあるのか分からない。
出し入れや後の始末が大変で、さっと気軽に使えなかったりする。
テーブルや棚の上、床までモノが占領し重なっている。
この息苦しさから逃れたいと思っていた20年ほど前のある日、
フランソワーズ・モレシャンさんの文章に出会い、目からうろこが落ちた。
「必要なものを見つけるために精神的にも、時間的にも消耗が多くって、
基本的に発想を変えなくては、と思ったわけ。
朝から晩まで整理して、ちょうど5日間かかりました。
使いたいモノがすぐに出てくるようになって、ほんとに快適!
整理のされていない暮らしでいちばんの問題点は、貴重な場所や自分の時間を、
混乱したモノがうばっていくこと。」
それに加えて、私は整理整頓や掃除にかかる手間も考えた。
よし!私もスッキリしよう!
ただ「ゴミ」として捨てることのできるモノは精神的にも少ない。
そこで最初の10年間はフリーマーケットをおおいに利用した。
子供を連れてレジャー感覚で10回以上参加した年もある。
その後はインターネットのオークションを利用した。
お店屋さんごっこは楽しく、おかげで我が家は売るモノがほとんどなくなった。
最近はたまにリサイクルショップや、バザーに提供する程度となった。
そんな私が『持たない暮らし』を読んで再び思ったのは、
それでも捨てられない大切なものや思い出のものは、
目に見えるところに飾っておけることを処分の目安にすること。
観たい・聞きたい映画や公演、食べたい料理、楽しみなレジャーや旅行、
ささやかな気晴らしまで、モノとして残るのではなく心に残しておける事柄に
お金と時間と精神を使うこと。
我が家のオチャが羨ましいのは、身に付けているものは数年間も同じ首輪で、
他には何一つ持たず、もしこの家から出たとしても体ひとつで生きていけることだ。