続・放送を見て

先週に続き、2回目の放送を見た。
前回が「表」の面を見せたとすると、今回は「裏」の面を見せていた。
例え現場を取材したドキュメントであろうと、
テレビはドラマ仕立てで視聴者を惹きつけようとする。
「挨拶」(ちゃんとしています。ただ「起立・礼」と言う言葉は使ってないだけ)や
「掃除」(ちゃんとしています。その日は多分取材などのため
たまたましなくていい日だったのでは)や、
「休み時間にテレビゲーム」(授業そっちのけでやってるわけではない)など、
実情を知らない人には「これでいいのか?」と
マイナスイメージや疑問を持つ結果になったかもしれない。
「自由の履き違え」という先入観を持った人がそこだけ見ればね。
娘の通うフリースクールは心を病んだ子供達を癒す場なのだ。
まずそこからスタートしているということを忘れてはいけない。
さまざまな縛りや抑圧から、一度とことん開放してやる。
開放された心や行動を、ありのままに受け入れる。
そして娘のように本来の自分を取り戻し、自分のことを話せるようになり、
満面の笑みを見せるようになった子には、
それで「良かった良かった」と終わるのではなく、
細心の注意を払ってゆっくり次のステップを踏み出させる。
早急には結果の出ない取り組みに心を砕いているスタッフの方々の努力は、
並大抵のものではないことも、忘れてはいけない。
またこれだけ元気になったのなら中学に戻れるんじゃないか、というのは短絡過ぎる。
海や川に放流されて元気に泳ぎ始めたばかりの魚を、
相変わらず酸素不足の水槽に戻すようなものだ。
義家氏の言葉。
「ずるくても、弱くても、情けなくてもいいから、そのままの自分と闘ってください」
その通り。
子供達はこの学園でありのままの自分と闘っていることも忘れてはいけない。


ところで先日「1リットルの涙」というドラマが始まり、
その中で「私達にはまだまだ時間があるのだから」
という台詞が何度も出てくる。
この台詞はドラマの中で様々な意味を持ってるのだが、
自分の立場に置き換えてみると、例えば3年生は5ヶ月したら巣立っていく。
まだ5ヶ月もあると感じる人もいれば、
あと5ヶ月しかないと感じる人もいるだろう。
残された時間を大切に、今しか出来ないことを大切にと思う。